ワンルーム へ ようこそ!

なんか、いろいろ

水屋でゴソゴソ。非常事態の「はったい粉」 。

      

 

どうして~♪  お腹が~ へるのだろう♪

 

そんなこと、わからないですよね。

子どもの頃はいつもハラペコ、ペコリーヌでした。

学校から家に帰って、夕ごはんまでの時間が

どれだけ苦痛だったか。

 

おやつが特に用意されている家でもなく、時代でもなく

食事にありつけるまでどう過ごすか、

それが毎日の宿題より難しい戦いでした。

 

外で遊んでいるときは、まだ大丈夫なんだけど、

TVを見ながら空腹をごまかすのはキツイ。

 

我慢できなくて水屋に何かないかと、ゴソゴソあさってみたりと。

 

「水屋」(みずや)って言葉。

 

今はあんまり使いませんが。

もともと水屋=台所で、

我が家では、省略して台所の収納棚のことを水屋って呼んでいました。

 

話を戻して…

 

その水屋の中にお菓子はなくても、

お腹の足しになりそうな収穫があったりするんです。

 

「いりこ」「乾燥わかめ」「 味付け海苔」

 

もう、ごちそうです。

 

食べて中身が減ったのがわからないように、

ちょっとずつ食べるのが基本。

見つかれば当然怒られるので。

でも、勢いがついて食べ切ってしまうこともたびたびありました。

 

祖母がよく食べていた

 

はったい粉」も。

 

きな粉は大好きだったけど、これは、う~ん、微妙で渋い味。

お湯と砂糖を入れて、かき混ぜて食べていました。

砂糖を注ぎ足して味を調節して。

 

大人になって食べれば、また違うんだろうけど。

 

これに手をつけるときは、

かなりの非常事態でした。

 

何であんなに飢えてたんだろう??

 

食べ物がないときは、

ティッシュを食べてたくらいですし。

 

食べ物のことについてはまだまだ思い出があるので、またの機会に。

「もしかして、あなたは女神ですか?」左ききの救世主といえば?

 

左ききは、今では特別珍しくもなく、

一つの個性として認められていますよね。

スポーツによっては、それを生かせることもあります。

 

そういう世の中を見て、普通に生きていけるのがうらやましいです。

大袈裟に言ってるわけでなく…。

 

40年前のことですが、左ききの人間に対して

物珍しく接する人が多かったと思います。

 

私は左ききでした。

普通じゃないんだと…自分自身感じていました。

 

まず、親。必死になって右に矯正してきたのを覚えています。

根性トレーニングですよ。

食事のスプーン、お絵描きのクレヨンなどなど。

自分が持ちやすい方の逆の手で持たされるわけなので、すごく難しい。

いやな記憶が今でも蘇ります。

 

親としては、他の子どもと同じようにさせたい、変な目で見られないように、

そして困らないようにと考えて一生懸命に直していたんだと思います。

そんなことが、わかるわけもなく、ただただ窮屈でした。

 

そんなときにTVで聞こえてきた

 

「わたしの彼は左きき」。

 

うれしかったです。

 

左ききが認められたと勘違いしてしまうようなタイミングでした。

 

救世主でした。

 

麻丘めぐみ、もう女神ですよね。

 

密かに応援もしていました。

 

     

 

結局、「食べる」「書く」は、特訓のおかげ(!?)で右になりましたが、

その他が左のままでした。

 

 

学校でソフトボールをやるときも、困りました。

左きき用のグローブがない…。

右きき用をはめてボールをキャッチしたあと、

素早くグローブを外して左で投げたりと

苦労していました。

 

今は道具や文具も充実していますよね。

左きき用のハサミも当たり前のようにありますし。

 

でも、気になるのが自販機ですね。

 

右側にお金の投入口があるので

左手で入れる人間にとって、

出てきたモノを取り出すときに

 

一回体をひねる感じになります。

 

これがちょっとしたことなんだけど、イヤ。

 

右ききの人にとって分かりにくいかもしれませんが…。

 

 

だらだら書きましたが、昔の左ききあるあるとしてここに残します。

 

 

麻丘めぐみさんも何回も出演していた「8時だョ!全員集合」。

笑い転げるくらい楽しませてくれた、

エンターテイナー 志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。

 

キレイなお姉さんのいるレコード店〈後編〉

 

「キレイなお姉さんのいるレコード店〈前編〉を書いて

1週間も経ってしまいました。

続きを楽しみにしていた方(いたら)ごめんなさい。

まだの方は、ぜひ〈前編〉を読んだあとに、

こちらの〈後編〉へ読み進めていただければ。

 

レコード店のお姉さんに声をかけられて緊張していた私。

普通の挨拶の「こんにちは」さえ、ぎこちなかったんですよね。

無駄に意識してせっかくの会話のチャンスを逃して、

店を出たあと後悔しての繰り返し。

 

何度も通ってたのはお姉さんを見たいから、これは間違いないです。

洋楽のアーティストのような見た目のかっこよさ、

音楽に詳しくて、優しくて。

憧れでした。

 

そこには、友だちを誘ってよく足を運びました。

子どもなのに常連ぶったりして。

結局、お姉さんとは話ができない情けない少年ですけど。

 

そのレコード店で初めて買ったのはレコードじゃなく、

カセットテープで発売されていた

「ベリーベスト・アバ」。

レコードヴァージョンもあったのに、なぜこっちを選んだのかは不明です。

 

 

                  

 

いっしょにいた友だちも同じものが欲しかったみたいで、

でも1本しか置いていなくて。

 

ここは当然、お姉さんに話かけるチャンスですよね。

 

今はないけど、何日かすれば入荷することを教えてくれました。

 

今、お店にあるテープを友だちに譲って、

自分は後日入荷分を購入するというパターンを選んでいたらなと思うわけです。

 

そうすれば、また会える理由ができたのに。

 

今だから考えつくことで、当時は子どもなので今あるテープを

どっちが買うかで争い、

勝利することが一番の目標になってしまったんですよね。

結局、友だちはアバの別のベスト盤を買うことになりました。

 

いつの頃からか、

見るだけや聴くだけで、何度もお店に行くのは

 

怪しいんじゃないかと…。

 

お姉さんを意識しすぎていたんです。

 

お姉さんからすれば、ただの音楽好きの少年。

 

お店から遠のいて、1ヶ月も経っていないある日

久しぶりに行ってみるとお店は閉店。なくなっていたんです。

 

ショックでした。

それと同時にすごく後悔しました。

 

もしかして、近所のレコード屋さんで働いていないかなと

その足で探しました。

 

いない。いない。

 

あのキレイでかっこいいお姉さんは

幻だったのかなと

今でも思い起こすことがあります。

 

キレイなお姉さんのいるレコード店〈前編〉

中学校1年の頃、洋楽にハマりました

同級生で聴いている人が少なかったのがよかった。

音楽だけでなく、人と違うことをするのが好きだったので。

 

その当時、今以上に周りに音楽があふれていました。

テレビやラジオ、町の中でも…。

NHKの紅白に出場する歌手の歌で、

聴いたことのないものはありませんでした。

 

今のようなCDショップのチェーン店はなく、

町のレコード屋さんがすごく頑張っていたそんな時代。

私の地元の小さな商店街でも、なんと3軒もお店がありました。

(現在は全部なくってしまって、シャッターをおろしたお店が

並んでいます。さみしいですけど…。)

 

その中でも品揃えは一番で、広々とした店で楽器も販売していたところ。

また別のお店で同じように楽器も売っていたけど、

店内が薄暗くてちょっと入りづらく、怖い感じの雰囲気のお店。

どちらも割と長く続いていました。

 

残りのひとつは楽器は販売していなくて、レコードの専門店でした。

狭い店内にレコードとカセットテープ(生テープじゃありませんよ)が

いい感じに置いてあって、

いつも洋楽が流れていて、別世界に入り込んだ感じがしていました。

 

そこで働いていたキレイなお姉さん(たぶん20代?)が、ふたり。

ジーパン姿のかっこいいお姉さんたちでした。

 

   

 

買うことはできないけど、試聴できるのでよく行ってました。

今では考えられないかもしれないことで、

売り物のレコードジャケットから取り出して

聴かせてくれました。

レコードプレーヤーのターンテーブルに乗せて

1曲目が始まる数秒間の「間」が好きでした。

クルクル回っている円盤を見てワクワクして。

 

お姉さんは幼い少年に、笑顔で声をかけてくれてました。

何をしゃべったかも覚えてないくらい

緊張していたことだけ覚えています。

 

キレイなお姉さんのいるレコード店〈後編〉につづく…

今年もカープ観戦はムリかな…

 

1週間前にカープのファン倶楽部先行販売があって、申し込みはしてたんだけど

結果みごとに落選。

今年こそはと意気込んでいただけに、ああ…くやしい…悲しい…。

セブンチケットはダメだったけど気持ち切り替えて、

ローチケで申し込みました。

結果は来週に判明します。どうか当たりますように!

 

いつの頃からか、カープのチケットがとれなくなってしまいましたね。

旧広島市民球場時代はガラガラで、ラクラク入れたのに。

 

そんな中でも選手の引退とか記録達成とかメモリアルな試合は満員でした。

すごく覚えているのが、2007年9月1日、前田智徳2000本安打達成試合。

場所はもちろん、前田の後ろレフトスタンドからの応援。

始まる前まで残り1本に迫った試合で、みんなの声援もすごかったな。

でも4打席凡退が続いて、今日はムリかと思っていた最終打席、

最後の最後にキレイなヒットを打って達成しました。

もう、何が何だか、よくわからないほどうれしすぎて。

 

セレモニーでは「怪我をしてチームの足を引っ張ってきたのに、

こんな選手を応援してくれてありがとう」と……涙してた姿は

目に焼きついています。こちらももらい泣きしました。

 

選手生命を脅かすような怪我も多かったけど、

走攻守の技術は際立っていました。

前田智徳

カープの歴史の中で大好きな選手のひとりです。

 

 

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雨の日の遊びといえば?

 

雨の日は気分が落ちます。個人的には好きじゃないです。

濡れるのもイヤだし、傘というアイテムがひとつ増えるのも。

手ブラで身軽なのが一番。

雨は避けては通れないので、いろいろ工夫して過ごしているのですが…。

 

昔を振り返って、子どもにとって何がつらかったかと言えば、

外で遊べなかったことですかね(少なくとも自分はそうでした)。

学校での外遊びは「ドッジ」や「手つなぎ」、「ろくむし」とか好きでした。

とにかく体を動かしたくなる、限界を知らない元気さですが、

今となってはうらやましいです。

廊下を走り回るような遊びだと先生に怒られますし。

 

そこで天候に左右されない「遊びノート」を準備していました。

遊びの引き出し&アイデア帳です。

雨の日の前日はろくに勉強もせず遅くまで起きて、

オリジナルの新作「すごろく」や「迷路」なんかを仕込んでいました。

 

すごろくだと、マス目の指示は学校生活のことを盛り込んでいました。

例えば、「○○先生に怒られて廊下に立たされて1回休み(今ではないことですね)」「テストで100点をとった。おこづかいが増えた」とか。

休憩時間だけで終わらないので、次の日も遊んでましたね。

 

迷路は、スタートから指でなぞってゴールを目指すお遊び的なやつ。

子ども向けの雑誌とかにもよく掲載されていたので、

遊んだ記憶のある人も多いと思います。

私が作っていたのは、ノート見開きいっぱいの大きな迷路。

四角の外枠にするところを野球のボール型や動物の型とか、

見映えも考えて作っていました。

友達が楽しそうに遊んでいるのを見ると、苦労して作ってよかったと

自己満足に浸っていました。

 

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当時を思い出して(ネコのつもり)

 

その他にも、消しゴムのかけらをボールに見立てて、

それを指で弾いて打つ「野球盤」。

ボールペンのお尻のノック式バネを使って、

動かして競争する「スーパーカー消しゴムのレース」。

 

レーシングコースを作るためには大きな紙が必要だったので、

テープで紙をたくさんつなぎあわせてましたね。

コースアウトすれば1回休み。何周も回る長時間のレースもありました。

1度で遠くまで進むために、すべりやすくしたり、軽くしたりと

子どもの頭で考えられる小細工も競いあったりと懐かしいです。

 

思い出の遊びは、人それぞれあると思います。

あなたの心に残っている遊びってなんですか??

ぜひ、教えてください。

        

知らないお兄さんお姉さんと勝負したゲーム

 

何かのときに買ってもらった「オセロ」。

これも小学生時代、思い出に残っているゲームの一つです。

今でも覚えているのが、サイドボードの下の隙間に片付けていて、

家族の誰かその場にいればパッと出して遊んでいたことです。

 

「オセロ」って登録商標なんですね。

リバーシ」とかって呼ばれているのも目にしますし。

コマで挟んでひっくり返していく簡単な遊びで説明もいらないので、

誰でもすぐに始められるところがいいです。

数が多い方が勝ちという単純明快な白黒のつけ方。

盤面に自分のコマでいっぱいにする満足感もありました。

 

オーソドックスなオセロは盤面が確か布地?になっていたと思います。

一方、私の家にあったオセロの盤面の表面はテカテカ。

2つ折りにできて、その中にコマを収納できるタイプでした。

コマには磁石が組み込まれていて、盤面が少々揺れてもコマの位置がズレないから、

ストレスなくゲームを楽しめていました。

コマを置いたときのくっつく感じも気持ちよかった。

何より不正ができないのが一番。

子ども同士だと遊んでいてもよく喧嘩になっていたので、

その点このゲームは終了まで無事にたどり着いていました。

勝負の関係で、どちらかが機嫌は悪くなっていましたが…。

 

毎日のようにオセロをやっていた頃、たまたま友達と行った地元の高校の文化祭。

小学生だから文化祭そのものの意味もよくわからず、

商店街のお祭りの感覚で遊びに行ったと思います。

食券というものを初めて手にしたのがこの日でした。

「これがお金のかわりになるんだ」、「これでモノが買えるんだ」と、

不思議な感覚でした。

 

学校を歩いていて偶然見つけた「オセロ大会」をやっていた教室。

ここでオセロができるんだと迷わず入りました。

当然、相手は高校生のお兄さんやお姉さんがほとんど。

いつも家でたくさんやってたけど、知らない人とするのは初めての経験。

最初の相手のお兄さんに勝ち、勝利者プレゼントでジュース券をもらいました。

うれしかったなー。

勝っていくたびにもらえるので、手元に何枚もたまっていきました。

続けて勝っていたので周りがざわついて

「すごい子がいる」みたいな雰囲気になっきて…。

これがプレッシャーですかね。

その次の相手には負けてしまいました。でも、すごくいい思い出。

 

今思えば、「腕試しできるんだ」ということでなく、

純粋に「オセロで遊べるんだ」という気持ちが強かったから

勝てたのかなと思います。

 

 

マグネットリバーシ HAC855

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